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RE 幸福論について

 投稿者:松下彰良  投稿日:2012年 7月 5日(木)21時38分44秒 p73a2a561.wmaxuq00.ap.so-net.ne.jp
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  佐藤様

 安藤先生の訳は全面的に参考にさせていただいています。安藤先生は英語学の大家ですので誤訳はほとんどないと思われます。ただし、私が納得がいかなかった(あるいは理解できなかった?)ところは、松下訳に説明をいれています。

 さて、第1章(何が人々を不幸にさせるのか?)の「不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である/The psychological causes of unhappiness, it is clear, are many and various という部分以降(岩波文庫のP.17以降→p.22以降?)の訳が安藤訳と松下訳とではかなり異なっているので、ベースにしたテキストが異なっているのではないか」、とのご質問です。

 ラッセルの著書(原著)の英米を中心にした出版状況(版・刷の違い)については、マクマスター大学のラッセル文書館の館長であったK.ブラックウェル博士のラッセル書誌(A Bibliography of Bertrand Russell, 3vols., Routledge, 1994)に詳しく書かれています。それによりますと、The Conquest of Happpiness, 1930 については、異なる版(テキスト)があるとは書かれていません。(ちなみに、Marriage and Morals, 1929 は1ケ所、テキストに違いがあり、Education and the Social Order, 1934 は米国版と英国版とで章立てが少し異なっています。)
 ラッセルの場合は、出版後に不適切な書き方をしていたり間違いに気づいた場合には、他の著書などで自分の間違いをすぐに公にしますが、改訂版を出すことはほとんどありません。それだけ自分が書いた著作に自信があるとともに、大きな間違いがあったり、考えに変化があった場合には、別の著書を書いたほうがよいと考え、実行しています。

 次に、テキストが同じだとしたら、どうしてそんなに訳が違うのかということですが、表面的な言葉遣いに違いはあるとはいえ、指し示す内容については、私にはそれほど違っているようには思えませんが、どのへんが、内容が違って見えるのでしょうか?

  下記に、①安藤訳、②松下訳、③原著(英語テキスト)、④安藤訳に下線を引き・松下訳を( )にいれたもの、のをあげておきます。
 それから、⑤として、参考まで、みすず書房版バートランド・ラッセル著作集の片桐ユズル訳をあげておきます。訳語の選び方、言葉使い、意訳をどれだけするかによって、訳文がかなり異なっているように感じられることと思います。
 松下訳でおかしいと思われるところがあればご指摘ください。納得できるご指摘であれば改訳します。

①安藤訳
 不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である。しかし、どの場合にも、ある共通点がある。不幸な人間の見本ともいうべき人は、幼い時にある正常な満足を奪われたため、この一種類の満足を何よりも大事に思うようになり、ために、自分の人生に一方的な方向を与え、それとともに、その目的にかかわる諸活動ではなく、その達成のみをまったく不当に強調するようになった人である。しかし、現在では、事態はもっと悪化していて、それがごく普通になっている。人は、完全に意欲をくじかれたと感じるあまり、いっさいの満足を求めようとしないで、気晴らしと忘却のみを求めることがある。それから、彼は、「快楽」に血道をあげるようになる。言い換えれば、活動的に生きることをやめることで、生活をなんとか耐えられるものにしようとするわけだ。たとえば、泥酔は、一時的な自殺行為である。酒のもたらす幸福は、単に消極的なもので、不幸の瞬間的な停止にほかならない。ナルシシストも、誇大妄想狂も、幸福を得るのにまちがった手段を採用するかもしれないが、幸福は可能だと信じている。 しかし、どのような形にせよ、酔いしれることを求める人は、忘却という以外の希望をあきらめてしまっている。

②松下訳
 不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である(悩み相談サイトの例)。しかし、いかなる不幸にも、共通点がある。不幸な人間の典型は、若いときに何らかの正常な満足を奪われたため、その一種類の満足を他の何よりも価値があると思うようになり、それゆえ、自分の人生に一方的な方向性を与え、その目的に関連した活動ではなく、その目的の達成のみをまったく不当に強調するようになった人である。しかし、現在(1930年頃)では、事態はもっと先をいっており、それがごく一般的となっている。完全に挫折したと感じ、満足を得ようとは一切しないで、気晴らしと忘却のみを人は求めるかもしれない。そうして、彼は、(一時的)快楽を追い求めるようになる。すなわち、非活動的になることで、人生を耐えられるものにしようとする。たとえば、泥酔は、一時的な自殺(行為)であり、酒のもたらす幸福は、単に消極的な、不幸の一瞬の休止にすぎない。ナルシシストも、誇大妄想狂も、幸福を得るのに誤った手段を採るかもしれないが、幸福は可能だと信じているが(「。」をつけるべきでした)、どのような形にせよ、陶酔を求める人は、忘却以外の希望をあきらめてしまっている。

③該当部分の原文テキスト
The psychological causes of unhappiness, it is clear, are many and various. But all have something in common. The typical unhappy man is one who, having been deprived in youth of some normal satisfaction, has come to value this one kind of satisfaction more than any other, and has therefore given to his life a one-sided direction, together with a quite undue emphasis upon the achievement as opposed to the activities connected with it. There is, however, a further development which is very common in the present day. A man may feel so completely thwarted that he seeks no form of satisfaction, but only distraction and oblivion. He then becomes a devotee of 'pleasure'. That is to say he seeks to make life bearable by becoming less alive. Drunkenness, for example, is temporary suicide; the happiness that it brings is merely negative, a momentary cessation of unhappiuess. The narcissist and the megalomaniac believe that happiness is possible, though they may adopt mistaken means of achieving it; but the man who seeks intoxication, in whatever form, has given up hope except in oblivion.

④下線部分が安藤訳、( )内が松下訳
 不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である。しかし、どの場合にも(いかなる不幸にも)、(ある)共通点がある。不幸な人間の見本ともいうべき人(典型)は、幼い時にある正常な満足(若いときに何らかの正常な満足)を奪われたため、この(その)一種類の満足を(他の)何よりも大事に(価値があると)思うようになり、ために、自分の人生に一方的な方向(方向性)を与え、それとともに、その目的にかかわる諸活動(関連した活動)ではなく、その(目的の)達成のみをまったく不当に強調するようになった人である。しかし、現在(1930年頃=補記)では、事態はもっと悪化していて(先をいっていて)、それがごく普通(一般的)となっている。人は、(←松下は主語は不要として削除)完全に意欲をくじかれたと感じるあまり(挫折したと感じ)、いっさいの満足を求めようとしないで(満足を得ようとは一切しないで)、気晴らしと忘却のみを求めることがある(人は求めるかもしれない)。それから(そうして)、彼は、「快楽」に血道をあげるようになる(一時的快楽を追い求めるようになる)。言い換えれば、(すなわち)活動的に生きることをやめることで(非活動的になることで)、生活をなんとか耐えられるものにしようとするわけだ(人生を耐えられるものにしようとする)。たとえば、泥酔は、一時的な自殺行為(自殺行為)である。(松下訳では、「あり」として次の文に続ける)、酒のもたらす幸福は、単に消極的なもので(松下は「もので」を省略し、次の「不幸」にかかるようにしている)、不幸の瞬間的な停止にほかならない(一瞬の休止にすぎない)。ナルシシストも、誇大妄想狂も、幸福を得るのにまちがった(誤った)手段を採用する(採る)かもしれないが、幸福は可能だと信じている。(が、→ ここに「が」を入れるのはよくないので、修正します!) しかし、どのような形にせよ、酔いしれることを求める人は(陶酔を求める人は)、忘却という以外の(←変な日本語ですね。/忘却以外の)希望をあきらめてしまっている。

⑤片桐ユズル訳(みすず書房版・バートランド・ラッセル著作集第6巻『ラッセル幸福論』)
  不幸の心理的原因が種々多様であることはあきらかである。しかし、すべてに何か共通なものがある。典型的な不幸な人は、こんな人だ、小さいときにしかるべき満足を得られなかったので、そのひとつの欲望充足を他の底によりも大切に思うようになり、したがって、それが彼の人生に一方的な方向づけを与え、その目的達成だけを、それに関係ある諸活動と反対なものとして、不当に強調する。しかし、現在よくあるのは、さらにすすんだ症状である。あるひとはあまりにも完全にしりぞけられていると感じて、いかなる形でも満足をもとめることはあきらめ、気ばらしと忘却とを求めている。そうすると彼は「快楽」の狂信者となる。彼は、人生を生き生きさせないことによって、耐えうるものにしようとしている。たとえば、よっぱらうことは一時的な自殺である、それのもたらす幸福は単に消極的であり不幸の瞬間的中止である。ナルシシストと誇大妄想狂は幸福は可能だと信じている、しかしそれを得るのにまちがった手段を採用している。しかしどのような形にしろ、よっぱらうことを求める人は希望をすててしまっていて、忘却しかない。 

http://russell-j.com/beginner/HA11-040.HTM

 
 
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